映画「キャシャーン」を観てきた。私自身はわりと楽しめた。映像とかサウンドとか。後半話が崩壊してたけど。
ただ、スタッフの悲鳴が大量に聞こえたような気がした。「シャレんなってねーぞ...」「マジかよこれ」「俺は知らねーぞ」。
監督は監督で、どんどん離れていくスタッフを尻目に、最後に残った数人の腹心をはべらせ、「映画作りってこういうことなんだよ」「俺の屍を越えてお前達が未来を作ってくれよ」なんてコトを夜更けまで語っていたのではないかと、そんな気もした。
いろいろと突っ込みどころはある。っていうか突っ込み出したらキリが無い。まあ、ブライキングボスが機械じゃなくって「ブレードランナー」に登場するルトガーハウアーを意識させる、クローン技術で作られたレプリカントなのもよしとしよう、唐沢トシアキも熱演してたし。風景が大友克洋の「メモリーズ」に出てくる「大砲の街」そっくりだったり、「ガジェット」っていうゲームに出てくるような流線型の機関車が出てきたりするのとか、大画面でアジテートする独裁者が「1984」的なのもまあオマージュとかリスペクトなのかも知れない。それじゃオマージュとかリスペクト取り去ったら、この映画にナニが残るのかってところも割り引いておこう。
ただどうしても納得が行かないのが、キャシャーンの出所だ。キャシャーンっていうのは元々テレビシリーズの冒頭ナレーションにもあるように「たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の身体」をあえて選んだ信念の人であり、自発的に新造人間になった人なんである。でも、この映画だと戦争で死んだテツヤが、オヤジである寺尾聡にバイオクローン液体に漬け込まれて勝手に受動的に蘇っちゃうんである。「ペットセメタリー」じゃん?幽体離脱してその一部始終を客観的に観てる本人も最後まで「オヤジ、ナニやってんだよ!」とか怒ってるし。お母さんも白鳥ロボに閉じ込められないでフツーに病気で寝てるのである。
例のメットは装着前に壊されてしまうため、ずっとかぶらない設定になってる。これもどうなんだか。マスクはシャキーンと出てくるのだが。
最後に行き着く結論が「競争することでしか生きられない人間社会とはなんだ?」とか「俺たちは互いの存在を許しあうべきなんだ」とか、ヘナヘナである。
それから過去の自分を見ている現在の自分が過去の自分の打ち消し様も無い罪に耐え切れず叫び出すとかってお前ヌーベルバーグか?「ゴダールの映画って、難しくて嫌い」とかカフェオレを見つめながら不機嫌顔で言っちゃいそうだ。ついでにコルトレーンを聴きながらタバコをふかしたくなる。なんのこっちゃ。
それに長い。長すぎる。二時間半は長すぎる。その上「さあ今度こそ面白くなるのか?」と思わせながら最後までカタルシスはやってこないのである。「エヴァンゲリオン」さながらだ。監督は「グリフィスの救出」っていう言葉は知ってるのか?それともあえて常識の逆を行きたかったのか?常識の逆を行くにはそれなりにパワーが必要なのだ。見てると「お前、早よ助けろよ!」と浜ちゃんみたいな口ぶりでケツを蹴っ飛ばしたくなってくる。
空手チョップで敵のロボを真っ二つにしたり、敵のロボを振り回して周りの敵ロボを全部やっつけたりとか、大砲の弾を素手でキャッチしたりとか、「おおー、アレを実写でやるとこうなるのかー」と思わせるところは良かったのだが...
ブライキングボスが覚醒するところまで40分くらいかかってしまうのだ。
「俺はキャシャーンだ」って口に出すところまで一時間以上かかってしまうのだ。お前エー加減にせーよ。犬のロボットも出てこないし。同名の犬は出てくるけど。
途中まではそれなりに画も綺麗で見てられるんだけど、後半1/3はストーリーが崩壊してしまう。遠くにいるキャシャーンが突然コッチにやってきたり。ブライキングボスが自動ドアの向こうから突然やってきたりとか。
大体キャシャーンの純白の衣装がほとんど汚れっぱなしつーのも気に入らない。最後に突然謎解き入っちゃうし。それに謎解き入ってブライキングボスが「実はフツーの人間」ってコトになっちゃう。アラー!それじゃ今までの超人的生命力は何なの?いくらなんでもロボットの出てくる映画なんだし、理系の人間は最低5−6人脚本チェックスタッフに入れとかないとダメだろ。
なんせ登場人物全部全部死ぬってどういうコトだよ。「ダメな映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられていく」ってミスチルの歌そのまんまじゃん。私が見ていたいのは希望に満ちた光だ。
ただ、映像はまあまあ美しい。宇多田ヒカルの「ディスタンス」とか「トラベリング」のプロモーションビデオとかCDジャケットの写真は良かったので、結局この人は断片的な美しい映像を作るのは上手なのかもしれないなと思った。
繰り返しになるが、唐沢トシアキ好演。要潤意味不明。宮迫好演。
あと思ったのが、この映画ってオリジナル知らずに見たら多分意味わからないんじゃないかなってコト。
エンドロールで宇多田ヒカルの曲がかかって、その歌自体はそこそこいいんだが、その歌のエンディングがあまりにも淡白すぎるのでビックリする。2時間半の映画なんだから、最後の最後は8小節分くらいのピアノのロングトーンと弦の合奏で終わって欲しかった。それが「ピロリロリン」とか簡単に終わっちゃうのである。最後まで悪い意味で意表を突きつづける映画なのであった。
次は庵野監督とサトエリの「キューティーハニー」に期待したい。